合衆国最高機密ファイルFOIA

UFO、陰謀、都市伝説、公開された超機密ファイルを読み解く!

1990年代に行われた“ロズウェル事件”の再調査(パート10:軍人を含めた目撃証言の数々)

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イメージ:エイリアン

 (出典元FOIAファイル

 

パート9からの続き)

サリー・ストリックランド・タドリーニ(W・W・ブラゼルの隣人、1947年当時の年齢9歳)宣誓期日1993年9月27日。
「…ビルが私達に見せたものは、私が今でも布切れだったと思っている何かだった。それはアルミフォイルとも、そしてサテンとも言えそうで、よくなめされたレザーのように丈夫だったが、それらのどの素材とも完全に一致しないものだった。…おおよその厚さは質の良いキッド革手袋用のレザーと言ったところで、金属的な暗い灰色をしており片側が反対よりやや暗い色あいをしていた。そこに、何かのデザインやエンボス加工があったとは記憶していない…」

 

ロバート・R・ポーター(1947年当時ロズウェルに駐在のB-29航空技師)宣誓期日1991年6月7日。
「私は、その時、空飛ぶ円盤だと説明をうけた物体をフォートワースへ空輸するメンバーの一人だった。機に同乗していた人々には・・・や、マーセル少佐も含まれていた。この物体が空飛ぶ円盤からのものだ、と話したのはウィリアム・E・アンダーソン大尉だった。目的地に到着すると、この物体はB-25へ積み替えられた。オハイオ州デイトンのライトフィールド基地へ運ばれるとの事だった。私は、これをB-29に積み込む作業にも参加していた、物体はラッピングペーパーで包まれたパッケージだった。その中の一つは、底辺が2.5フィート程の三角形をした一片だった。残りのものは、靴箱程度の大きさの小さい箱に収められていた。テープで止められた茶色の紙もあった。これらの物体は非常に軽く、それを抱えても空の箱を手にしたようにしか思えなかった。我々は、この3角形の物体と3つの靴箱サイズのパッケージを、機体に積み込んだ。パッケージ全部が、車のトランクにピッタリはまっただろうと思う・・・我々が昼食を終え戻ると、物体はB-25に積み替えられたと聞かされた。この物体は気象バルーンだと説明されたが、私は絶対に別の何かだったと思う…」

 

 

現在でも存命で、ブラゼル農場で発見されたままの状態の物体を見たり調査したとされるのは上記の人々に加え、その回収にかかわったとして一般に認識されている人物、シェリダン・キャヴィット空軍中佐(Ret)がいる。キャヴィットは、すべての証言の中に、残骸回収のためマーセル少佐と共に農場を訪れた人物として登場する。時に彼は、マーセル同様にすでに他界した当時の対敵諜報部隊(CIC)のウイリアム・リケットを従えていた。
キャヴィットが残骸回収に従事したかについての議論は、さほど行われていないものの、一般書籍の中での彼についての証言には以下の内容が多く見られる。
この男性は、口を固く結んだ(場合によると不気味な)謀略者としてしばしば描写され、事件発生当時に“ロズウェルの秘密”が公表されることを拒んだ人物として語られているのだ。彼について語られる別のものとしては、彼が本事案のレポートを書き上げたが、それは絶対に公開される事がない、というものもある。

事件に直接関与した人物である、このキャヴィット中佐は存命である事から、本件に関する彼の証言についての宣誓書を受けたうえで聞き取り調査を行う事となった。聞き取りに先立ち空軍長官からは、機密事項について語る事ならびに、過去に宣誓した守秘義務のすべてから彼を開放する旨の、直筆の認定証と解放証明書が手渡されている。
これに続くキャヴィットへの面談は、彼の自宅において1994年5月24日に行われた。この際、キャヴィットは、事件についての回想内容に関して宣誓書(Atch 17)にサインを行っている。また、この面談がテープに録音されることも彼は同意した。録音内容のトランスクリプトは、Atch 18に収録されている。
この聞き取りにおいてキャヴィットは、これまでUFO研究家の多くから問い合わせを受け、積極的に面談にも応じてきたと語った。とはいえ、その多くにおいて彼の人となりが間違って伝えられ、コメントは文脈を無視した形で伝えられたので、本来の意味が変わってしまったと感じている事も話している。
そんな中、彼は、自分が回収した物体はアルミフォイルのように反射するもの、そして、薄く竹に似たスティック状のものだったと明言している。その時彼は、それが気象バルーンであると思ったし、今日に至るまでその考えは変わっていなく、その事は個人研究家の人々にも話してきたという。
また彼は、小さな箱状の計器類を回収した事も記憶しており、当時、ラジオゾンデか何かだと思ったと証言した。
キャヴィット中佐は、フォートワースに運ばれた残骸を映した(しばしば、LITO研究家達がバルーンから引きはがされた部品にすり替えられたと主張する)ラメイとマーセルによる有名な写真(Atch 16)についても触れ、ここに移された物体は、彼が農場から回収したものと一致していると明言してもいる。
加えて中佐は、この事件を他言しないというような誓約をしたこともないし、これについて、政府内の人物から脅された経験もないと語った。
彼は、1980年代にこの事件について聞かれるまでは、その事が非日常的な何かだと考えられている話すら知らなかったとの事である。

 

同時に、アーヴィング・ニュートン空軍少佐(Ret)の居場所も発見され聞き取りが行われた。ニュートンは、ロズウェルから残骸が運び込まれた1947年の7月当時、フォートワースで気象観測官として働いていた。彼は、残骸を検証するためラメイ准将の元に出頭するよう命じられていた。
サインした宣誓書(Atch 30)の下で、ニュートンは以下のように述べている。「准将のオフィスに足を踏み入れると、床一面に空飛ぶ円盤と称されていたものが並べられていた。それを一見するとすぐに笑いが込みあげ、これが空飛ぶ円盤かねと尋ねた…私は、それがバルーンとRAWIN標的に違いないと彼らに話した…」
さらにニュートンは「残骸を検証中、マーセル少佐がスティック状のものを手に取り、そこに見られるいくつかの記号は宇宙人のものに違いないと言った。ラヴェンダー色かピンク色をしたスティックの表面には、気候にさらされ色あせたマーキングが見られたが、宇宙語だという根拠は見られなかった。だから、彼はそれが宇宙人のものだという事を、私に納得させる事は不可能だった。」とも語った。
ニュートンはこの証言を以下のように締めくくっている。「これ以後、私は多くの作家達から聞き取り調査を受け、そこで話したことは時に間違って引用されてきた。実際に起きた事は、上に述べたとおりだ。最初に報告した時から今日まで、私は自分が真実と思うこと以外の何も語らされた事はない。つまり、ラメイ准将のオフィスで私が見たものは、バルーンの残骸でありRAWIN標的であったのは確かだ。」

パート11へ続く)