合衆国最高機密ファイルFOIA

UFO、陰謀、都市伝説、公開された超機密ファイルを読み解く!

1990年代に行われた“ロズウェル事件”の再調査(パート8:ロズウェル真相ではない事項 2)

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イメージ:飛来した宇宙人

 (出典元FOIAファイル

 

パート7からの続き)

 

核実験の失敗

考慮すべき領域の一つに、ロズウェル近郊で何が起きていたにせよ、そこには核兵器が関与していただろう、というものがある。第509爆撃群が、当時としては世界で唯一核兵器を使用可能であった部隊である事を鑑みると、これは論理的な考え方だとも言える。ただ、現存する記録を再確認した結果でも、本案件がこれに当たるとは思えない。
ミズーリ州セントルイスの連邦記録センターには、核兵器に関係しているはずの記録が、現時点でも最高機密もしくは機密保持データとして保管されている。第509部隊に関係するこれらの記録に、いわゆるロズウェル事件として誤解されるような活動の記録は一切存在しない。
同時に、原子力に関係する事件の記録は、いかなるものであってもエネルギー省から引き継いでいるはずであり、実際に事件が発生していたなら、最近の機密解除の一環や情報公開の流れにそって、それは公表されていてしかるべきである。
そういった記録がエネルギー省側に存在すると示唆するような補助的な記録も、空軍内部に存在してはいない。


地球外由来の飛行体

今回の空軍に対する調査結果には、1947年のロズウェルで発生した事象に、いかなる種類においても地球外から飛来した宇宙船が関与した事を示唆する内容は一切見当たらなかった。もちろん、これが本案件における最重要ポイントではある。これら報告書のコピーを入手したUFO信奉者達は、この点について「隠ぺい工作は未だ進行中だ」とほぼ間違いなく主張し始めるのであろう。
だとしても、ロズウェル近郊に宇宙船が墜落したとか、そこで、なんらかの機密軍事活動もしくはそれに類するものによりエイリアン搭乗員の死体が回収されたなどという証拠は、記録の中に一切記載されてはいない。
しかし、これが当時に空軍内にUFOへの配慮が無かったという意味にはならない。そして、もともと「UFO」という言葉は、正体が容易に特定できない空中の物体という意味の、未確認飛行物体を表したものだ。これは、エイリアンの宇宙船の同意語として今日使われるよになったものとは違う意味なのである。
空軍の調査員、ならびに、先に名前を挙げた作家達により調査された対象となる時期の記録は、米空軍自体が、米国領空で目撃された未確認飛行物体の正体にについて、合理的に特定する能力を欠いている事実を、重く受け止めていた事を示している。
とは言え、それらすべての記録は、彼らが注目していたものがエイリアンやその敵対性を含む問題ではなく、ソヴィエト連邦であった事も示している。この時代からの記録の多くは、ソヴィエトによる実験的飛行体が米国領空を通過している可能性について言及している。当然の事ながら、領空を守るために結成されて間もない当時の米空軍にとって、この問題は重大事項であった。

1947年7月のロズウェルとUFOに、一定の関連性のある何等かの活動を記録したAAF公式文書が、今回の調査で発見されている。これは、509部隊とロズウェルAAFの7月の履歴を残す小さなセクションにあり、「広報部オフィスは、509爆撃群が所持していたという空飛ぶ円盤についての照会に応えるため、忙しくこの一カ月を過ごしている。この物体は、レーダー補足用のバルーンであった事が判明している」と記されている(Atch I 1にも掲載)。これに加えこの履歴記録は、509部隊の指揮官であったブランチャード大佐が、7月8日から休暇に入った事も示している。これは、人類史上初めて発見された地球外からの物体を取り扱った人物にとっては、合理性の無い行動である(ブランチャードは、報道をかわすためそうする振りをしたのであって、実際は、現場に足を運び回収作戦を指揮したのだ、という主張もある)
また、この記録および新聞報道などが、この月にロズウェルで行われた活動は、多くの人材や情報管理力を投入した特別に高いレベルのものではなく、平凡なものであった事も示している。

同様に調査員達は、1947年7月の軍部階級内で、いかなる種類の活動の活発化や(機密のものを含めた)メッセージや命令の往来が存在したことを示す事項も発見できなかった。そこには、いかなる警告、報告、警報、あるいは目的不明のエイリアンクラフトが合衆国領土に侵入したとすれば、当然沸き起こるはずの作戦活動の活発化なども、示す事項は存在していない。
このような作戦上の、あるいは高レベルの情報保全活動が、安全の確保されない通信や個人同士の接触のみにおいて指揮されるというのを鵜呑みにするのは、従軍歴があり、いかに緊急事態や高度な機密や繊細な任務であっても、記録を残す事が必須であると理解する人々にとっては、非合理的な考え方であるだろう。

UFOを信奉する作家達が、しばしば通例ではあり得ないと指摘する活動の中に、ネイサン・トワイニング中将が1947年の7月にニューメキシコ州へ出張したというものがある。彼は、空軍資材司令部の指揮官である。しかし実際には、トワイニングは爆撃指揮官の講習を受けるため、他数名の士官らと共に7月8日にこの地へ赴いており、これに関する指令は1947年の6月5日(Atch 14)に出されていることを示した記録が発見されている。

またこれと似た話には、当時の副参謀長であったホイト・ヴァンデンバーグ将軍が、ロズウェルの事案に関する活動の指揮にあたったという主張も存在する。議会図書館に保管されている、ヴァンデンバーグ将軍の個人記録で発見された活動報告(Atch 15)は、彼が7月7日に“空飛ぶ円盤”の事案対応に追われた事が記載されてはいるものの、この件は実際のところ、テキサス州エリントンフィールドとスポケーン連隊(ワシントン)でのものである。
結局、この件に関する情報を基にした多くの議論を経て、上の主張は虚偽であるという結論が導き出された。この主張が言う様に、将軍が個人的にロズウェル事件に関心を持ち関与したという記述は、新聞紙上以外には存在していない。

上記の2つの例は、仮に人類の歴史を変えるような出来事の一つが発生した際に、合衆国軍が、それに振り回されず平常通りの行動を起こしたという意味にもなり得る。
実際のケースを考えても、軍部はロズウェル周辺のみならず全米に数千人規模の陸空軍人を展開し、かつ、通常の作戦行動であるように振る舞わせ、通常の報告をさせなければならなかったはずだ。20年以上経過すれば、包括的な情報公開法の下で国民が政府関係書類を調査する大いなる手段を手に入れるだろうという予測の下、彼らは、疑わしい内容の記録はまったく残さなかったという事になる。
そして、記録を見る限り、そういったことは一切おこなわれていない(もしくは、それがあったとするなら、非常に効率的かつ厳重な情報管理システムがそれを行い、我々や他の誰も、事件発生以来一度もそれに触れられなかったという事になる。事件当時、そういったシステムが実用化されていたとすれば、わが国の核兵器に関する機密をソヴィエトから守るためにも、それが適用されていたはずであるが、歴史を鑑みれば、それも事実ではないだろう)。結局、今回の記録調査により、そのように洗練され効果的な情報管理システムは実在していなかったと証明された。

 

パート9に続く)