合衆国最高機密ファイルFOIA

UFO、陰謀、都市伝説、公開された超機密ファイルを読み解く!

米空軍&コロラド大学のFUO研究に関するミーティング

f:id:pretoronews:20190111144229j:plain

イメージ:UFO

 

出典元FOIAファイル

 

1967年2月23日

MEMORANDUM FOR THE RECORD
SUBJECT: 1967年2月20日、Dr.コンドンのNPIC訪問

1. 合衆国空軍は、コロラド大学において、UFO目撃報告事例の研究を行わせる、30万ドルの契約を承認した。エドワード・B・ギラーズ准将が、空軍における上級担当将校を、Dr.トーマス・ラクフォードが、このプロジェクトに関する空軍側の責任科学者を務める。コロラド大学側からは、Dr.E・U・コンドンが責任科学者を務める。

2. 1967年2月20日時刻0915、Dr.コンドンと4人の研究チームが、NPICを訪れた。Dr.コンドンに同伴したのは、コロラド大学のDr.リチャード・ロウ、Dr.デヴィッド・ソーンダース、AFRSTの常任理事であるDr.ウィリアム・プライス、およびUSAFのDr.ラクフォードら。この訪問の目的は、Dr.コンドンと彼の研究チームが、NPICが採用している写真測量および写真解析の有効性について、知識を深める事だ。

3. 本ミーティングのクリアランスレベルは“機密事項”である。

4. 時刻0915、彼らグループがNPICに到着、(名称隠ぺい)が同伴した上でランドール氏のオフィスへ。これに引き続き行われた10から15分間の話し合では、ランドール氏とDr.コンドンの間で、以下のような点が明確に確認された。
a. Dr.コンドンに協力するためNPICが行ういかなる作業も、CIAが携わっている事実が明かされる事はない。ランドール氏は、本件作業にからみ一切CIAについて触れないよう、Dr.コンドンにアドバイスを行った。Dr.コンドンは、仮にCIAの公式見解が必要と感じる場合でも、NPICとの関係とは明確に区別した形で、CIAと接すると発言した。
b. NPICは、いかなる形でも文章でのコメントは作成しない、結論付ける事を前提とした情報の解析、もしくは、報告書の作成も、同様に行わない。NPICの人員は、写真測量的な方面からDr.コンドンをアシストする事が可能であり、Dr.コンドンによる解析作業の分担として、画像上の物体を測定する目的で協力する。NPICによる作業は、他では調達できない作業内容と機器類を必要とする場合の、厳密に技術的内容に限る。

5. ランドール氏のオフィスでのこの短時間の話合いの後、会議室へ場所を移し、Dr.コンドン達はさらに一連のブリーフィングを受けた。(名称隠ぺい)による手短な概要説明の後、以下に示すようなブリーフィングが行われた:
a. 写真測量についての基本的な解説、写真測量とは何かや、何が可能なのかを基本に、定義と用語についての説明。担当は(名称隠ぺい)。
b. 続いて、(名称隠ぺい)が、Dr.ラクフォードによりもたらされたUFO写真について、今まで行った解析作業を説明した。内容は、基本的な作業内容から、カメラの焦点距離、メーカー、不明なズーム比率など、基本的な情報が不足する事が原因で、彼がこれまで経験した問題点について触れた。
c. 次に、(名称隠ぺい)がマイクロデンシトメーターと、画像解析におけるその応用について、基本的な説明を行った。
d. さらに(名称隠ぺい)は、彼の指導のもと行われてきた、アイソデンシトメーターの実験についてプレゼンテーションを行った。
e. つづいて(名称隠ぺい)が、一行を新設のクリーンエリアへ案内し、アイソデンシトメーターおよび、新しいマン製マイクロデンシトメーターについての質疑応答が行われた。
f. 会議室へ戻り、(隠ぺい)で使用される測定機器について、(名称隠ぺい)が概要説明を行った。さらに、(隠ぺい)を加えて行われた第2次UFOプロジェクトの撮像測定作業において、(名称隠ぺい)がこれまでに経験した、成功例と失敗例についての説明も行われた。その後、(名称隠ぺい)は一行と共に装置エリアへ移動し、移写装置、マン880コンパレーター、ベンソン・レナ―製プロッター、そしてNRIなどの見学をさせた。

6. 時刻1215ころ、(名称隠ぺい)が一行を連れランドール氏のオフィスへ戻り、UFO問題の全体像に関する話合いが持たれた。時刻1235ころ、一考はランチを取りに移動。その語NPICを離れ、ペンタゴンでのジラーズ准将との会合に臨んだ。

7. 全体的には、この午前のミーティングは非機密事項扱いとされる内容で、写真測量や画像解析、そして、解析作業を価値あるものとするために、十分な情報を取り出そうとした場合に生じる、いくつかの問題点などについての、最も基本的な事項を論じたものだった。