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スタンスフィールド・ターナーの証言ーMKULTRA(パート1)

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イメージ:洗脳

 (出典元FOIAファイル

中央情報局長官スタンスフィールド・ターナー提督による証言


上院特別委員会および上院人事委員会および健康科学調査分科会において

1977年8月3日水曜日

 

議長殿

1977年7月15日のあなた宛ての書簡において、私は、1953年から1964年の間にCIAが行っていた秘密プロジェクトMKULTRAに関する資料を収めたボックスが7つ、最近発見された事をご報告いたしました。あなたもおそらく再認識された通りに、MKULTRAとは、下位に繊細な内容の副プロジェクトがいくつか置かれた“包括プロジェクト”で、その中に、薬物および行動制御に関する研究も含まれておりました。
1975年のロックフェラー委員会およびチャーチ委員会による調査が行われた時、フランク・オルソン博士の薬物関連死の詳細が公表され、この暗号名も公に知られるようになりました。
1953年、フォートデトリック陸軍基地で一般市民として就労していたオルソン博士は、CIAが召喚したLSD研究者達との会合において、本人の意思に関係なく実験の名目でLSDを摂取させられたその1週間後、ニューヨーク市のホテルの窓から飛び降り自殺をしました。

【関連書籍】
CIA洗脳実験室
書籍:CIA洗脳実験室

同局の行動影響薬物を用いた活動について1975年の調査で明らかになった事項のほとんどは、監察官のオフィスで1963年にまとめられた、MKULTRAプロジェクト関連のレポートに記載されています。このレポートが推奨したとおりに、同意をしていない米国市民に薬物をテストする事はその後に中止されています。このMKULTRA関連のレポートは、チャーチ委員会の調査員達、ならびにケネディ上院議員の健康問題分科会スタッフに対し閲覧可能とされていたものです。
最近それが発見されるまで、MKULTRAの行動制御についてのファイルは、今までの報告通にある通り、当時退職を迎えていたテクニカルサービス部長が1973年に発行し、当時のDCIにより認可された指示に従い、すべて破棄されたものと捉えられてきました。
このプロジェクトに何等かの関係を持っていたとして、1975年に上院委員会の関心を引いた人物達は、当時すでに情報局を去っていました。つまり、チャーチ委員会の調査が行われた時にも、MKULTRAの関連プロジェクトについての情報は、CIA内に限られた内容しか残っていませんでした。
さらに言えばこのような詳細情報の欠落は、1973年のMKULTRA関連ファイル破棄に全面的な責任があるとも言い切れません。1963年のMKULTRAについてのレポートでは、その14ページめに監察官名義でこう書かれています。「現状の活動においては、実験活動の計画ならびに承認に関する記録は一切補完しない」

パート2に続く)